私は、7月12日の献血キャンペーンの日に、町田献血ルームで400mlの献血を行い、目標にしていた100回目の献血を遂に達成しました。
思えば大学生のころから献血を始めて〜〜そういえば、学園祭の時に友達と「社会に役立つことをしよう。」と献血車に乗ったのが(いや献血テントだったかな)初めてだったと思います。元々子どもの時から注射は大嫌いでしたが、この時は思ったほど痛くなかったように思います。
今はカードになっていますが、以前は真っ赤な二つ折りの献血手帳を持たされていて、昔はよく知り合いから病人の方の手術時の献血に協力してほしいと頼まれ、手帳を渡して(差し上げて)いました。その後に登録制になって回数がカウントされるようになりました。ですから、たぶん実際にはもうとっくに100回は超えていたのではと思います。
「献血は社会に役に立つ」という意識はいつも持っているのですが、献血した血液がどういう風に使われているかは、実際に自分の目で確認できないので、正直実感は伴わないものです。
しかし、病院での輸血に協力したことが何回かありましたが、その時に今でも忘れない感動したことが2つあります。1つは、職場の先輩がK病院で手術をする時、頼まれて初めて病院で輸血用の採血をした時のことです。無事手術が終わって何日かたって元気に職場復帰をされた時、私に、「お前の若い血をもらったからこんなに元気になれたよ。ありがとう。」とお礼を言われました。よく冗談を言う先輩なので、半分はお世辞が入ったお礼の言葉かな、とは思いましたが、お礼の言葉をいただき、自分の血が役に立ったんだ!と実感しとても嬉しかったのを覚えています。
2つ目は、知人がM病院で心臓の手術をした時のことです。やはり頼まれて病院で輸血用の採血をしました。採血後、知人の奥様と採血した協力者何人かで手術が終わるまで待っていました。かなりの難病の手術だったので皆でお祈りしながら数時間待ちました。そして遂に「手術成功」の声を聞いた時、皆で手を取り合って喜びました。嬉しくて涙もいっぱい流しました。この時も「自分の血が人の役に立てて良かった!」と実感しました。
今では、患者の手術時に輸血協力者が直接病院で採血されることはなく、献血された血液が手術時の輸血に重要な役割を担っています。献血は、こういう風に社会に役に役立っている。だからできるだけ多くの人が献血に協力してほしい!と思います。全血献血(200ml、400ml)は、69歳まで献血できるので、私の次の目標は150回です。(まあ、それだけ年をとっているということ)
今回100回目の記念品として、写真のようなガラスの工芸品(美術品)をいただきました。30回目、50回目には、記念品として表彰額をいただいたのですが、正直、額(ちゃんと倉庫にしまってあります)よりもこうした実用品(でも美術品です)のほうが嬉しいです。いただいた記念品の紹介をします。造形作家の多田美波さんという方の作品です。多田さんは、女子美大卒業後、芸術選奨文部大臣賞受賞(1983年)、勲四等宝冠賞叙勲(1994年)等数多くの受賞があり、東京都庁舎には彫刻「澪」が飾られています。
皆さん、是非是非、社会に役立つ「献血」にご協力ください。